ここ数日で、手当たりしだいと思えるような事件で、たくさんの人が命を落としている。腹立たしいこと、この上ない。

人は誰しも、その存在価値があって、この世の中に生まれてきていると思う。その大切な命を、自ら絶つことも許せないし、ましてや、人の命を奪うことなど絶対に許せない。

「心神耗弱」とか「心神喪失」とかよく言うけど、殺人を犯すときは、みんな平常心じゃないに決まってる。これで、無罪とかありえないと思う。

先日、ドームで入場の順番待ちをしていたとき、前に並んでいた母と同じくらいの年配の女性二人組。
「前に見に来たとき、○○選手が私の方を見たんよ。目が合った気がする〜〜」「私の方も見たよ」とまるで、少女のようなはしゃぎようで、とても若々しい。

自分が、社会の役に立っているかどうかとか、そんな難しいことは考えなくてもいい。○○選手の笑顔は、確実にその女性たちの楽しみの一つになっている。

命を奪うことを考えている人に、人のことを思いやれと言うのは無理かもしれないけど、みんながほんの少しずつでいいから、相手の立場に立つことが出来れば、悲しいニュースを聞くことも少しは減るんじゃないかなと思う。

コメント

雪月花
雪月花
2008年3月30日9:53

本当に、人のであれ自分のであれ「命」というものの重さが全然わかってないような昨今。
そういう状況で望むのは無理かもしれないけど、一呼吸おいて
考えて欲しい。
目の前の相手のこと、その背後に控えるたくさんの人たちのこと。
自分の背後に控える家族のこと。

あと確かに「神経なんとか」、便利に使われすぎてますよね。
弁護士もそれしか手がないのかと思うくらい。
(仮に本当に精神疾患の犯罪者の場合、逆にそれも「またか」とひとくくりにされないかとも思われます。)
岡山の18歳の少年の事件は、長男と同い年だけにとても悲しい気持ちで見ました。
亡くなったご本人、残されたご家族のことは当然ですが
あの少年はお父さんにあんなに愛されていたのにと思うと
残念でしかたありません。
あと無理心中なんて言葉なくなればいいと、思います。

ひろすけ
ひろすけ
2008年3月31日5:55

自分の人生をリセットするために、人の命まで犠牲にしてしまうなど考えられません。
あの18歳の男の子も、進学にしろ就職にしろ、いくらだって方法も可能性もあったのに、なぜと首を傾げるばかり。
「無理心中」などという言葉が美化されて、行為も美化されることがないように願いたいです。